コラム

2006.4.17

お茶の心と商いの心

昨日は、秋田市の料亭・濱の家の茶室にて、お茶会を開催しました。そのお茶会は、3年前に亡くなった先生を偲ぶ会として、お弟子さんたちが、開催したもので、私もその社中に入っておりましたので、お手伝いに行きました。
そのお茶の先生が、私の祖父の妹の娘さんであり、親戚でもあったので、20年前に表千家のお稽古を進めていくうちに まじめな生徒ではなかったのですが、とんとんと進めてもらい、お茶名までいただきました。
ある日「お茶名をなにしたいですか?」と先生に聞かれ、先生の茶名が、「宗林」でしたので、わたしが、林といえば山なので、「宗山が、いいです」と言いましたら、「その名前は、もう決まっています」と言われ、山が、駄目なら、川でもいいやと思い、「宗川(そうせん)」にしてください」と冗談で言ったつもりが、「川は、流れるからいいわね」と言われ、その名前になりました。

「川は、流れる」から、よどみなく、いつも綺麗であり、くよくよしないこと、川は、山から流れる水を大きな海に流すパイプ役もすること、昔から、川は、生活にはなくてはならないものであったし、様々な風習や行事に使われたことなどから、とても重要なものなんだなあと気付きました。

昨日のお茶会のために、私は、「おいしい水」を準備して、持参しました。そして、その水で作ったお茶が、「たいへん美味しい」と言われましたので、私が、「水が、いいからだよ」と言いましたら、「私が、美味しい抹茶を二日かけて、こしたからよ」と言う人、あるいは、「お点前する人が、上手に練ったからよ」と言う人などが、いました。
それは、ひとつの物事を評価する時は、唯一、一人を評価するのではなく、その物事に関わった、すべての人を評価しなければならないこと、つまり、「物事の成功は、すべての人の結晶であること」に気づかなければならいことだと思いました。どんなに美味しいお菓子でも、食べる人が、いなければ評価されないし、売る人、買う人がいなければ、食べられません。
企画する人、作る人、売る人、買う人、食べる人、そして、その美味しさを伝える人がいて、商売が、成り立ちます。建築業も同じだと思いました。

後ろの掛け軸は、「無心更無事」と書き、「無心になることは、さらに、無事になること」と言う意味だそうです。「無心」で、頑張りたいと思います。

by 村上直樹